日本基督教団 白銀教会

 + 「礼拝への招き」

 聖書においては、私たち人間はしばしば「羊の群れ」にたとえられます。羊は大変弱い動物です。自分一人ではどちらの方向に進んだら良いのか分かりません。ですから、羊たちは群を作って、互いに寄り添って生きているのです。しかし、羊たちはただ群をなすだけでは生きては行かれません。大切なのはその群を正しい道に導き、敵から守ってくれる羊飼いの存在です。羊飼いが導いてくれなければ、羊たちはすぐにばらばらになり、道に迷ってしまいます。羊たちにとって羊飼いはなくてはならない存在なのです。

 私たち人間も羊と同じではないでしょうか。自分一人ではどちらの方向に向かって歩んだら良いのか分かりません。ですから、私たちも群をなし、お互い寄り添い合い、助け合いながら生きています。しかし、人間の場合は群をなしますと互いに争い、ぶつかり合うことがしばしばあります。群からはみ出してしまって、孤立してしまうこともあります。人間関係に躓き、心が疲れ果ててしまうことがあると思います。「一体自分は何のために生きているのか」と分らなくなってしまうことがあると思います。

 聖書には「迷い出た1匹の羊」のたとえ話があります。ある羊飼いが100匹の羊を飼っていて、その中の1匹が群から迷い出てしまいます。するとこの羊飼いは残りの99匹を野原において、その見失った1匹を探しに行くのです。これは数の論理ではとても理解できないことです。世の中の考え方で言ったら、多い方を取るのが当たり前です。ところがこの羊飼いは残りの99匹を置いて、失われた1匹を探しに行くと言うのです。羊飼いにとってこの1匹は単に100匹の中の1匹ではないのです。他に代わりがいくらでもいるから、1匹くらい失われても良いということではないのです。羊飼いにとって、この1匹の羊の命は世界全体よりも重い価値を持っているのです。

 神様の目から見ると、私たちは皆この失われた1匹の羊なのです。私たちは時に生きる意味を見失い、「自分なんていなくても誰も困らない」と思うかも知れません。しかし、そうではないのです。私たち一人一人は、この羊飼いにとって掛け替えのない存在なのです。他の99匹を置いてでも、この私のために命を捨てる覚悟で探しに来て下さる方がおられるのです。御自分の大切な命を犠牲にするほどに、この私を愛して下さる方がいるのです。この羊飼いとはイエス・キリストに他なりません。この方は私たちの罪のために十字架において御自分の命を犠牲に捧げ、そして、三日目に死人の中から復活なされたのです。私たちの命はこの羊飼いに必要とされている命なのです。私たち一人一人の命はそれほどに重みのあるものなのです。

 礼拝は、この良き羊飼いにお会いすることのできる場所なのです。そこには他では経験することのできない喜びと安らぎがあります。是非礼拝にいらして下さい。












































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